ひとまず

8月中には一度ぐらい更新できるかなとか思っていたのだけど、全然。むやみに忙しいです。
最近思ったことについていくつか書いておこうか、と思いました。


今年僕が安倍なつみさんを「生で」目にしたのは2度。一度は梅田における『祝祭音楽劇トゥーランドット』。
そしてもう一度は、8/10の中野サンプラザにおけるバースデイコンサート(の、昼のみ)。これももう1か月前のことになるんですね。


これらの体験は、数こそ少ないものの、なっちの表現そのものについては120%以上満足したといっていいものでした。「安心」「驚き」「恐怖」「幸せ」、そういった全てについて、余すところなく、120%。
トゥーランドットについては、結構色々と書きました(WOWOWの放送も見ました、多くの新しい発見と感動を得ましたが、それについてはとりあえず置きます)。で、バースデイコンサートについて。もう細かいことは思い出せないのですが、逆に「重要なことだけ覚えている」ということができるかもしれません。幾つか。


1.なっちとバンドのあり方
「なっちと彼女のバックバンド」というよりは、「バンドがあってヴォーカルがなっち」という方向にちょっとずつ近づいている、と思う。もちろんどっちかといえばまだ後者なんだけど、少しずつね。こればもちろん、僕にとってはとてもいいことです。
Asamiちゃんについて特筆したい。あのハジケっぷりが素敵だけど、それ以上に、彼女の歌声がごく自然に響いていたっていうことがなんだかとても嬉しかった。コーラスだけでなく、メイン・パートとして歌っている部分があった(『エレベーター』などの、CDではなっちの声が重なっていて、ライブでそれを再現するにはもう一人の歌声が必須なところで、だったと記憶します)んですね。つまり「なっちのヴォーカル」が聖域になっていないんですよね。「ヴォーカルの人と楽器の人」じゃない。ヴォーカルだって楽器の一つだし、楽器だってもちろん「歌う」。それがバンドです。
あとね、Asamiちゃんの独特の甘ったる〜い歌声がなっちの声に溶けていくところが凄くいい。紅茶とかに角砂糖を入れると、不思議な軌跡を描いて溶けていきますよね。あんな感じです。


2.バンドの音
バンドの音が確立されつつある。バンマス岩崎さんはもう長いことなっちの隣で鍵盤をたたき続けておられるし、彼を中心としたバンドとしての秩序が確実に立ち上がってきている。「楽曲のアレンジはすべて岩崎さんの手になる」となっちが言っていたけど、これは今回が初めて? それとも今までもそうだったのかな。それは大きなことだと思います。



3.今思ったのだけど
今思ったのだけど、1.で僕が書いてることって少し奇妙な感じがします。「バンド」を「ハロプロ」に置き換えると、僕は圧倒的に逆の状況(考え方)を好んで(望んで)いたからです。つまり「ハロプロがあって一推しがなっち」じゃなくて、「なっちがいて、彼女がハロプロに所属している」というとらえ方。それを僕は、何度も強調してきました。どこが違うのだろう。今度考えてみようかな、と思いました。



4.書きたくないこと

思ってしまった、というか、前から薄々思っていたのだけど。
「僕はなっちのライブが大好きだ」という言い方は正確でない気がします。「僕はなっちのステージが大好きだ」が正しい。
つまり、「僕はなっちのライブの客席の様子があまり好きではない」ってことです。まあステージと客席は、相互に関係し合って成立してるわけで、この分け方に無理があるのは重々承知してます。だけど乱暴に言うとそういうことになってしまう。
たとえば僕は、表現の内容・方法がどうこうという問題でなくて、観客として僕が置かれている状況としては、トゥーランドットの場合のほうが遥かに自然体で楽しめているわけです。僕は、大好きな曲「だって生きてかなくちゃ」のサビでフワフワ叫ばれるだけで一気に現実に引き戻されるし、あれが大嫌いです。「腕組んで」での「エルオーブイイー」ってのはまだマシだけど、好ましくはない。それは「なっちがノリノリで呼応してくれてる云々」っていうのとは別の話です。「なっちの情感たっぷりの歌声に固唾をのんで聴き入り、歌が終わるとうっとりした状態から慌てて力いっぱい拍手する」っていうほうがよほど好きです。


僕は別にそのフワフワだのエルオーブイイーだのという、言葉の内容とかを問題にしてるわけではありません。
そうすることに「初めから決まっている」ことが、目の前の「生の」なっちを置き去りにしているようで嫌なのです。気持ち悪い。視線はなっちのほうを向いているのに、焦点が合ってない感じ。


まあこれは、今まで僕が書いてきたこと、やってきたことっていう文脈があって、それを振り返りながらでなくてはきちんとロジカルに語れないので、またきちんと書こうと思います。3〜4年前ぐらいかな、「サイリウム企画」について書いたときに結構深く触れたのだけど。改めてもう一度。



5.まあそれにしても
なっちの表現はどんどん良くなってるなあ。
声の説得力が、トゥーランドット以前と以後(バースデイコンサート)だと大違いでした。「トゥーランドットを経たから大幅に進化してるに違いない」という予断がどこかにあったせいでそう感じたのかな、とも思いましたが、連れて行った友人(なっちのコンサートは久々)がなっちの歌唱力(の変化)に驚嘆していて、ああやっぱり、と嬉しくなったりもしました。


それで、なんだかもう「ファンの欲目」みたいなのがあるのではないか、みたいに自分の感覚を突き放してみるのをやめようと思いました。
「ファンの贔屓目もあるかもしれませんが、それでもなっちの歌声は云々」みたいな言い方をやめようと。


なっちの歌は本当に素晴らしい。
僕にとって、途方もなく素晴らしいものです。文句あっか。




10年を振り返る話もぼちぼち続けないと。
今日書いたちょっと嫌な話も、そこに含んでいくことになるかと思います。ま、また忘れた頃に。