あなた色プレミアム パシフィコ横浜

natsumi-crazy2004-11-08

7日夜に参戦。4列目の左端のほうであった。このツアーラスト、というより年内生なっちがラスト。素晴らしかったと言いたい。まあ、こっちが良席だったというのもあるから、素晴らしさをより実感したという感じかもしれん。
非常に角度が無い所だったため、かなり不思議な感じであった。オープニングで映像が流れた後、恋テレのイントロと共に幕が取り払われてなっちが登場するんだけど、角度が無さ過ぎるので幕がなくなる前から既になっちが見えてるわけです。ちょっと得した気分。
今日も最初からテンションは高かった。風邪もどうやら完全に治ってた様子で安心。なんだか興奮して思い出せないが、全体的によく声が出せてたと思う。かすれるようなことも無かった。
今回はそういう位置だったから、常になっちの右の横顔を見ていた。そういう角度から歌っているなっちを見ることってあまり無い。テレビでもカメラワークとして横顔をとらえることはあるけど、基本的には正面から映すからね。そのために、近いことは近いんだけど、なんだかちょっと客観的に見てた気がする。傍観者的というわけではなく。まさに文字通り、なっちの新たな横顔が見えた。
それは挙げればきりがないが、特に「…ひとりぼっち…」で感じたことがある。他の多くの曲は明るくハジケたもので、なっちは全身を使って「外へ向けての力」で表現しているように感じるのだけど、この曲ではなっちは「内へ向けての力」で表現するという意識が強いのではないかと。自分の内面の奥底に静かに静かに降りていって、それをそっと歌声に乗せている、とそういう感じを受けた。それを象徴しているのがなっちの目。この曲に入ったとき、恐らく無意識的にだろうと思うが、なっちは目を閉じている。閉じていない時でも伏目がちである。それでもなお我々に向かって発信している。動きは少なく、五感のうちでも不要なものは極力抑えることで、何か研ぎ澄まされる特別な感覚というものがあるのだろう。事実、特にライブで聴くこの曲は、ある特別な鋭さをもって心に突き刺さってくる。
例えば交通事故に遭う瞬間など、人は瞬間的に聴覚を失い、視覚の上では色彩を失って、時間をスローモーションに感じることがあるという。それは瞬間的に危険を回避するために、本能が不要な感覚をシャットアウトし、そのぶん必要な感覚を研ぎ澄ませているからだ、という説を聞いたことがある。なっちの「…ひとりぼっち…」における感覚はある意味でそれと似た部分を持つのではないだろうか。なんだか、妙な表現だけれど、ドラゴンボールの「気」という概念が実感として分かったような気がしたのである。
そしてその感覚を研ぎ澄ませるということには、視覚を感じないほどに努力して役に入り込んだという「仔犬のワルツ」での経験もかなり生かされているのだろうな、と感じる。
そういう120%の表現ができるなっちをやはり尊敬する。なぜなら20%の部分というのは命を削って生み出したものだと思うから。

と、真面目な話ばかり書いてキモイので別のテンション。左前と言うことはハケるときになっちが凄く接近してくるわけですよ。ラストの曲「ダディ!」の後、いつまでもステージにいたくてなかなか「バイバイ!」と言えないなっち。本当に心からそう感じてるんだなということがわかるわけですよ、この距離だと。で、ハケようとする瞬間振り返って、客席に向かって「シッ!」。静まり返る客席に、「みんな……愛してるよ!」
もうほんとにもうなんかね、もうほんとに。
しかもなっちが感極まってて、「あい」の部分、声がひっくり返ってた。涙こらえてるなっちの表情が目に焼きついて離れん。
これから3ヶ月、あれで生きていける。

あと俺レス貰ったんですよ。断言できるほど確実じゃないからあんま書き立てないけど。あれは70%以上の確率で俺に向けたものだった!

…真面目に書かなくてもそれはそれでキモイな。もうだめだ。