なっちと松浦さん

後浦なつみコンサート中野最終公演レポの続きです、一応。前回のDINについて書いた記事を「なっちとごっちん」と位置づけた上で、表題のテーマで色々書こうと思いました。


書こうと思いましたって、何故過去形かと申しますと、書こうと思いながら梨華ちゃんの卒業に関する各種報道を見ていて、「ああ、無事卒業したんだな、卒業メンバーも駆けつけたんだなあ、よかった」と思っていたのですが、サンスポ(ネット)の報道のある部分に対して逆上し、「おまえらどんな信念を持って何の意義を見出してその記事書く仕事やってんの?」というキレ気味文章を書き始めたところで、なんだか下らなくなってやめてしまい、そうした一連の一人芝居の結果テンションが下がってしまったので、愛のこもった記事を色々とは書けないし、しかしGWが明けたのでまた更新がスローペースになってしまうだろうからさらに1週先延ばしするのも微妙だな、と思ったので、端的にコアの部分だけ書こうと思ったわけです。このクソ長い一文の時点で既に読むのをやめた人が多いことでしょう。ちょっと酔ってるんです、すいませんm(_ _)m


なっちと松浦さんに関して思ったことというのは、なっちから見て裕ちゃん・圭織・やぐ・圭ちゃん・ごっちんといった人々との間にある「目を見れば通じる何か」とはまた別の種類のそれが松浦さんとの間にあるのだな、ということですね。
お互い全然違うタイプだし、歩んできた道も違いすぎるし、わかり合える何かが大して無いだろうことはわかっている。しかし互いに認め合う部分があって、それがある場所に到達した人同士だからこそわかる部分であり、だからこそその部分においては共鳴することができるのだろうな、ということを感じました。


うーむ、具体的なこと省いて抽象的なことだけ書くと、説得力が無い以前に何が言いたいのかよくわかりませんね…


まあいいや。ともかく、僕自身も少なからず抱いていた「なんでソロコンじゃなくて抱き合わせなんだよ」という考えは愚かなものであったなと感じました。ステージ上の2人は(ごっちんもでしょうが)そんな次元は超越していて、互いに刺激を受けて自分の糧にしようというポジティブなハングリーさを持って公演に臨んでいたように見えました。くだらない不満を持っていた自分が少し情けないです。


それから、しばらく前から松浦さんに対して抱いていたネガティブなイメージが多少そのことで弱まったのはいいことだなと感じました。これについては詳しく書くことは無いと思います。もし書くなら、それは僕が松浦さんを好きになったときに、「経緯として」です(笑)。


しっかし、誰の歌が良いとか順番つけるのアホらしいですよね。後浦なつみ結成時からそういうことやる人間が出てくるだろうとは思いましたが、案の定。
そんなの僕に言わせればなっちに決まってるんですよ。だって、技術的な面は3人ともあるレベルに達しているわけですから、求めるものといえば「(なっちの)気持ちを感じること」なわけで、「なっちの歌」と「他の人の歌」ではカテゴリが全然違うわけです。だから公正に比べることなどできないし、公正さが無いのなら比べること自体失礼ですからね。
したり顔で分析、ご苦労様です。さぞ楽しいでしょう、という。


僕は野次馬とか評論家ではなく「ファン」ですから。「特別な思い入れ」ってものがありますからね。