違和感

id:takanohiroshiさんにTB頂いている内容について。「珍しく見解が違う」と書かれていて*1、だけど冷静に考えると、僕からすれば高野さんの書かれている内容はよく理解できる気がしました。というか、僕自身が書いてきたことに、僕の考えを表すのに適当でない書き方とか、不十分な点があったかなと。まあいいや。それも含めて色々考えさせられ、ちょっと感情的な部分を書いておこうかなと思ったのです。


関係はあるけれどちょっと離れた感じの話題から。僕はなっちのライブ同様、ロックのライブにもよく足を運びます。オールスタンディングで行われるような、割と激しいものに。で、以前に行ったROSSOのライブについて書いたことがありました(id:natsumi-crazy:20050401#1112323385)*2。以下要点です。

ああいったロックだとかパンクとかのライヴでは「ダイブ・モッシュをすることになっている」みたいだけど、僕はあまり好きではありません。
(中略)
あれダイブとかする人間って、「ダイブしよう」と思ってするわけですよね。体が音楽に自然に反応してしまった結果、自然とダイブしてるわけじゃないですよね。僕なら目の前の比類なきロックン・ローラーから一瞬たりとも目を離したくないし、どうも理解できません。

ということ。これはいつも感じることです。ハロプロのライブなら、「ここでPPPH」とか「ここでコール」とかが「決まっている」。ロックのライブでも、一部の人にとっては「ダイブ」や「モッシュ」が「決まっている」。ここに僕は非常な違和感を感じるわけです。


どんなライブでも、最低限のマナーはわきまえつつも、各々が心を解放して心のままに楽しめばいいと思っています(その点で前述の高野さんの記述に共感しています……文意を正しく取れてなかったらすみません)。で、そういう考え方だからこそ逆に、「心のままに」、つまり自分のその時に感じた感情に従うのではなくて、「こうすることに決まっている」というよくわからない習慣性みたいなものがあってそれに従う、という態度に違和感を覚えるわけです。皆がやっているPPPHとかコールを僕が殆どしないのもそのためです。「俺はしたい時にしたいやり方でするぞ!」という感じでしょうか。


じゃあ例の「『22歳の私』で叫ぶ人」もいいじゃないか、ということにはなりません。だって彼は、そのタイミングで叫ぶことを「決めていた」わけです。頑なな自分の意思でそれをしていたにしろ、「その瞬間に感じた感情の自然な発露として叫んでいた」わけではないでしょう。あんなに毎度毎度きっちりと同じことをするのですから。そこに違和感を感じるのです。「その瞬間のなっち」と向き合っていない、それは「その瞬間目の前にいるなっち」へのレスポンスではなく、完全に自己完結した自己満足だろうと思うのです。であれば、それは「live」の「最低限のマナー」からは外れたものだと思います。


例えば先日の新宿の公演。僕の近くで、バラード曲(『空』だったかな)の終わり(完全に音が消える直前)に「なぁーーっ!」と叫んだ人がいました。明らかに「歌の素晴らしさに感極まって思わずなっちの名前を叫んでしまったのだが、皆が余韻に浸っているのを邪魔してはいけないととっさに理性が働き、『ち』を言う前に止めた」という感じで、僕は余韻に浸りつつも「どうせなら最後まで叫べよ」と少し笑えてしまったのを覚えています。それは全然不愉快ではありませんでした。「自然さ」があったからだと思います。


僕は、基本的にはそれぞれがそれぞれのやり方で応援すればいいと思っています。PPPHだのコールだのが揃わなくても別にいいと。こう書くと、上に貼ってあるバナーと矛盾するようですが、そうではありません。前述の通り、わけのわからない「PPPHとコールをすることになっているのだ」という慣習のようなものに流されず、もっと自然体で応援しませんか、という意味を僕は込めているつもりです。『晴れ 雨 のち スキ』で、自然体になった結果PPPHとコールを自然にしてしまうという人がいれば、僕は特にそれを否定はしません。そんな人がいるとはとても思えないのですけどね。


応援ってもっと自然なものだと思います。個性あるそれぞれが自然体で応援すれば、当然十人十色になると思いますし、その方が楽しいのではないかな、と思います。どうも「無理している」とか「無思考に流されている」みたいなものを感じることがあるのですね。別に、それぞれが好きなようにやっても、一体感というものは生まれると思います。個々がいつの間にかなっちのステージングを脇に追いやってしまうような本末転倒に陥らず、きちんとなっちに向き合いさえすれば。なっちはそういうステージを創ってくれているし、そんななっちが大好きだという一番大切な点では皆が一致しているはずなのですから。


…いまいちきちんと表現できた気がしませんが、こんな感じかな。


ところで、例の叫び声に関しては一応ご本人がやめるということにされたようですね。僕もひとまずはこれ以上何も言うまいという感じです。というわけで、最後に、例のことも含めて僕がコンサートに感じる違和感について、感情的なことを含めて書いてみました。


あーあ、Berryzについて書く機会がどんどん無くなっていくなあ、実に残念だ! はっはっは!

追記というか…

例のことで色々な人が槍玉に上がっていますが、なんだか複雑です。僕はけっこうネット上で派手にやっている人のHNは知っているつもりで、中には挨拶程度ながらお会いしたことのある方もいます。特になっち復帰の日本青年館のときに色々と。
で、その今回話題になっている所謂「界隈」の人も、きちんと喋ったことは無いにしろなんとなく知ってはいるんですね。ネット上で間接的にやりとりがあった、等も含めて。その方々のされていることを見て(特に去年の末から)、本当に真剣ななっちファンなのだなという印象を得たことがあったことは事実です。


僕は散々例の「叫び」への怒りを書いてはきましたが、「罪を憎んで人を憎まず」ってのはちょっと違うかもですが、そういう感じの姿勢でいたいと思います。「あんなことをするなんてファンじゃない!」みたいなことを書きましたが、少し反省しています。一つの行為だけで全てを断定するなどというのは偏狭だなと。もちろん「明らかに許しがたい一つの行為」というものもありますが、今回のことはそういうことよりも、ファンの中での価値観・考え方の温度差みたいなものに原因があったのかなと。もちろん、当事者にとって反省せねばならない点は沢山あると思いますけどね。


なっちのライブは、客の全員が笑顔で帰れるものであって欲しいです。あって欲しいというか、していきましょう。なっちがあんなに素晴らしいステージを見せてくれている以上、あとは客席がレベルを上げればいいことなのですから。

*1:最近は変態的な視点から同じ見解であることがありましたが(笑)

*2:この記事、冗談でつけたタイトルが今となっては本気でイタイす。やばい…(笑)