安倍なつみコンサートツアー「おとめチックBANK」足利公演(ネタバレなし)

参加してまいりました。今ツアー初参加。いやあ、楽しかった。
会場でお会いした某氏にもプレッシャーをかけられまして(笑)、感想を書こうと思うのですが、ちょっと今回はいくつかの断片的なことだけ。
というのも、今回のツアーはまさに最新アルバムを「引っ提げて」の公演で、あのアルバムに表現されているささやかでありながら奥深い物語性をなっちが生で見せてくれる、という感じのものだと思うんですね。ところが先日まで更新停止していた僕は、まだアルバムの感想も満足に書いていない状況です。ちょっと感想を文字にしようとしてみて、アルバム自体の感想無しには書くのが難しいことに気付いたのですね。というわけで、アルバムの感想を近いうちに書いて、その後にライブの感想を書くことにしたわけです。大阪公演の後にまとめて書くようにするかもしれません。というわけで、たぶん現段階では抽象的過ぎて全然意味のわからんことを書くと思いますが、少しだけ。


今回感じたことのうちで最も鮮烈な印象を残したものは、なっちの「理性」なんですね。今までなっちの表現からは「衝動」のようなものを強く感じることが多かったのですが、今回は何故かそれとともに「理性」を感じました。自己演出への意識だとか、そういう面での「理性」。具体的に言うと、「この曲はこういう表情で!」とかそういう、熱狂の渦の中でなっちの中に存在する<冷静沈着ななっち>。


今回僕は8列の端のあたりから見ていて、なっちの表情の変化だとか動きなどが具に確認できる位置だったんですね。それでなっちの表情をずっと見ていて、そんなことを感じたのですが。


何故こんなことを感じたのか、と考えてみました。知り合い――というか、中学時代からお世話になっている先輩なのですが――にアーティスト(美術の方面で)の方がいらっしゃって、先日もその方の個展にお邪魔して酒を飲みながら色々話したりもしたのです。そこで感じたことが恐らく影響しているのだと思います。


その方は、表現に向けた大きな衝動を抱え込みながら、それでいて話してみるともの凄く理性的なんですよね。明快で、論理的で、ユーモアは上質で、とても説得力のある話をされる方なんです。そのような姿勢は、まさに創作活動をしている最中であっても、本質的には変わらないのだろうと思います。「強い衝動を抱えているから、その分理性的な部分が失われてしまう」のではなく、「強い衝動を抱えているから、それと釣り合う強固な理性を保っている」ということ。プロフェッショナルとして表現をする人にとってそれは当然のことなのだろうか、などと思い、僕は尊敬の念を強くしていたのでありました。


その翌日に安倍なつみというプロの表現者の表現を目の前で目撃した、そして「ああ、なるほどなあ」となった、というわけです。


で、文章の展開的には、ここからさらになっちについて掘り下げて書いていくべきですよね。うん。ところが、ちょっと考えがまとまらないのですね(苦笑)。なので、とりあえず備忘録的にということで、今日はここまで。読んでくださる方に対してはめちゃくちゃ不親切ですね、すいません(笑)。


いや、ていうかね、もうなっち可愛すぎだし。しかもあなたの歌ちょっと凄すぎですから、ほんとに。圭織とのステージもヤバすぎでした。会場も温かかった。最高。端的に言ってそういうことです(笑)。


ちょっと文章をちゃんと書く能力がダメになっています。徐々にリハビリしていこうと思います(苦笑)。