「おとめちっくBank」大阪夜公演感想その1(ネタバレあり)

なっちを捉えようとすれば必然的におぼろげながらステージ全体が視界に入るほど後方の席から参加した、僕にとっての今ツアー2回目、かつラストとなる公演。それに参加する2日前に、以前参加した際の僕の感想(id:natsumi-crazy:20060505)に触れてくれたのが高野さん(id:takanohiroshi:20060608)。その更新を拝読して、僕自身また色々なことを考えるきっかけとさせて頂いたのでした。なっちの「衝動」となっちの「理性」、それは一体如何なるものか、そしてそれらはどのようにステージに反映されているのか。随分カタクルシイけれど、これが大阪公演に参加するにあたっての僕のテーマでした。そういう意味で、後方から全体的な視点で見られたのは良かったのかもしれません。


どの曲から始まるかということは知っていました。『F.O.』そして『夢ならば』。今公演では、もうその時点で僕は打ちのめされました。


今回のツアーでフィーチャーされているなっちの2ndアルバム。それを形容する最もポピュラーな言葉は、「等身大」ということになるでしょうか。最初の2曲は様々な収録曲の中でも特に代表的な「等身大」の曲です。等身大の、恋の終わり。


僕はどうも勘違いしていたきらいがあって、「等身大」という言葉を無意識に「こぢんまり」とか「まとまっている」とかいうイメージと結びつけていたのですね。だけど良く考えると、本当に本当にしっかりと一人の人間の「等身大」を表現したとしたら、それがそんなイメージと重なるはずはないのです。一人の人間の中には底なしの闇から太陽のような明るさまで様々な起伏が含まれているはずで、それを「縮尺そのままに」表現するというのは凄まじいことなんですよね。長くなりましたが、最初の2曲か3曲でいきなりそれが為されていたのです。それで僕は完全に打ちのめされたのです、きっと。


なっちの『衝動』はそこにありました。声の震えは、ビブラートの技術というよりは、失恋への心の動揺を押さえつける痛ましさ。波打つように腕を揺らめかせる振り付けは、なめらかに、確実に終わりに向かう「フェイド・アウト」でした。


なっちの『理性』はどこにあったか。実は『理性』という言葉は正確でなく、それはなっち(と我々)の作り出すある種の秩序ではなかったと思うんです。荒ぶる感情を客席にぶつけ、それに真正面からレスポンスを返す客席、という、その情況そのものが会場を支配する秩序。あの瞬間、少なくとも僕は、喩えるならば卓球の超高速ラリーをなっちと続けているような気分でした。激しいが、ずっと終わらないラリー。続くからこそその激しさは美しくて、秩序と呼べるものとなり得たのだと感じます。


大まかにいって、今日のライブではそのような情況がずっと続いていました。それが「なんだか凄くよかった」という感想を僕にもたらしたのだと思います。


えー、興奮したまま酒飲んで書いてるから、観念的な表現ばかりになって、何がなにやらわかりにくいですね(苦笑)。すいません。まあ、とりあえず熱いうちに打ったので、後からヤスリで磨くなりしてきちんと書きたいと思います。まあ、要するに備忘録でした。