「血と骨」

を観た。これは観ずにはいられんかった。
全編にわたって繰り返される目を覆いたくなる暴力。ストーリーにも救いが無く、心休まるシーンが無かった。見終わったあとでとても不快な気分になった。オススメできる映画ではない。
…とか、ネット上に数多ある「映画採点コーナー」もしくは「私の映画鑑賞記」的部分などに書くなんちゃって映画好きが多かろうと予想される。まあそれはなんというか、その通りなんだが。とても「もう一度観たい!」というタイプではない。
梁石日原作、崔洋一監督。久々のコンビ(名作「月はどっちに出ている」以来)である。あらすじ等に関しては公式サイト(http://www.chitohone.jp/)等を参照されたいが、これは原作を読むと映像化は不可能だろう、という印象を受ける。だがそれが見事に為されていた。
美術・音楽といったあらゆる部分で成功を収めていたと思うが、やはりキャスティングの妙というものがあった。この主人公・金俊平役はビートたけしにしか出来ない。そしてその妻、李英姫役も鈴木京香にしか出来まい。演技力はもちろんのこと、その存在感を含めて。
そして、脇役が軒並み素晴らしかった。最近邦画ではしばしば目にする新井浩文、映画「この世の外へ クラブ進駐軍」の感想でも確か激賛したと思うがオダギリジョーも素晴らしかった。そして濱田マリがあんなに演技が出来るとは知らなかったこと及び普通に脱いでいたこと、等々尽きないのだが、ここでは金俊平の娘・花子を演じた田畑智子という女優に触れておきたい。NHKの連ドラから出てきた女優としてはかなりの個性派だなという程度の認識しかなかったが、この映画において彼女の演技は非常に素晴らしかった。ビートたけし鈴木京香という鬼気迫る演技を見せる二人がいる中で、彼女は悲惨な境遇におかれる娘という役を、両親との関係性の中で演じきっていた。様々な孤独=デタッチメントの描かれるこの映画において、人間関係というコミットメント面でのネックは彼女であったと思う(しかも彼女自身途方もない孤独を抱え込んだ役柄であるのが凄い)。両親のみならず、自分をとりまく様々な登場人物に対する複雑な感情、それらを静かな演技の中に見事に反映させていた。そのために必要な存在感、繊細な表情を持っている女優だと感じた。彼女なくしてこの映画は成立しなかったと思う。今後の日本映画には間違いなく必要不可欠な女優である。
1980年生まれの23歳。ううむ…羨ましい…などと書くのは野暮だからやめておくけれど。
で、一応書いておくが、この映画で「癒された」と思う人間は神経が狂っていると思う。観終わったあと俯き気味にトボトボ帰るのがマトモだと思う。俺もそうだった。ということで、例えばビートたけしが演じる主人公は作中で次々と女を囲うわけだが、それについて「彼は誰を一番愛していたのかな? ○○であってほしいな〜」などといった感想を第一に抱きそうな人は観るべきではない。よくわからん表現だな。まあいいや。
それから、日朝(日韓)関係を中心とする近代・戦後史について、本当に本当に常識的なレベルの知識で構わないけれども最低限の知識が無いと、設定の時点で首を傾げることになるかと思います。
映画と暴力について一つだけ。リアリティのある映画には暴力というものが不可欠だと自分は思っております。それは単に殴ったり、レイプしたり、銃撃ったりといったシーンが要るという意味ではもちろんない。ある種の形での暴力というか、感情の底知れぬ負の方向への乱れというか。映画というのは一部のお気楽ドラマとは違って人を描くものなのであって、人は歴史の上に立っていて、歴史と言うのは暴力そのものなのだから。暴力の向こう側に何かを感じるということが足りないから、こうした歴史が築かれてきたのだと思っております。だから映画の果たす役割が大きいのであって。なーんかわかりにくいね。「暴力論」というのがきちんと無いとだめだね。それはまた今度にしよう。頭痛くなってきた。