唐突ですが

なっちについて幸せ満点なことを書いた後でアレですが…
「応援できない」と思った瞬間その人はファンではないと思います。応援しないファンなんているでしょうか? 「彼女のためにあえて今は」風の物言いはどうも「自分の感情は離れているのだが、未練もあって何かしら発言したいから、『ファン』としての立場は残しておきたい」みたいな胡散臭さを感じますね。もはやそれは自称ファン=僕が言うところの「野次馬」になってしまっているのではないか?
ファンでなくなることが悪いこととは無論言いません。しかし現時点ではファンではないのだから、自分自身の感情を語るならばともかく、「それでも応援する」と言っている人たちや本人に対してあれこれ言う資格は無いと思いますね。「謝れ」だなんておこがましい。あなたが去ったらいいんじゃないですか。そのまま去って行くもよし、また心変わりしてファンに戻るも良し。


何の話かって、矢口さんのことです、もちろん。


「結局矢口にとって、自分の事情>娘。の事情だったわけだ」とあまりに安直に結論付けるような意見を目にすると、暗澹たる気持ちになります。一体、今までの矢口さんをどう見てきて、今回の出来事(「うたばん」での矢口さんのコメントも含め)をどう解釈すれば、そんな安易で単純な結論に至れるのか。そんな人がファンを自認しているのが情けないというか、なんというか。


そうした結論に至るにあたって、「自分の中で早く整理をつけたい」という感情が少しでも働いてそうさせているのであれば、少なくともファンを名乗って衆目に意見を晒すべきではないと思います。深く考えもせずに「ファンなら〜すべき」と言う人がよくいます。そんなことは単純に言うべきことではありませんが。あえて僕に言わせれば「本当のファンなら痛みも苦しみも共に背負うべき」です。僕はそうしたいし、出来る限りそうしてきました(なっちに対してね)。感謝する、応援するといったことに関しての双方向性を普段から感じていないから、本人が辛い時に自分の感情の整理のことだけ考えてしまうのではないでしょうか。そのような「オイシイとこだけ頂く」というスタンスは「ファン」ではないんじゃないかと。別にそれが悪いというわけではありませんよ。ただ「ファン」を名乗るなと言いたいのです。
わからないことが多すぎてそれが出来ないもどかしさから、「もっと説明を」と(多少厳しめにであっても)矢口さんに求める、という姿勢は非常によく理解できるんですけどね。


もう書くまいと思ったのですが、やはり書いてしまいますね…