なっちについて語ること

id:natsumilkさんにTBを頂いてその記事を読んだり、他の方の記事をいろいろ読んだりして、何度も考えてみたことをまた考えます。ブログ書いて何がしたいんだよ俺は、っていう。


特に、普段から読ませていただいているらっぱさんの記事(「24カラット」のセットリストのネタバレがごく僅かにあるので、ご注意を!)*1を読んで、色々なことを感じました。記事に直接言及するというよりは、それを読んで僕が感じたことという感じになりますが…。


ブログを書くことでなっちのために何かプラスになることをしよう(例えば、なっちの気持ちを代弁しよう、あるいはなっちを分析しようなど)っていうことは、大まかに言って「目的」になり得ないと思います。確かに微力ながら色々な宣伝をするなどということは出来ますし、またしていきたいですけどね。「結果」にはなり得るかもしれないとは思います(そうなることを願っていますが)。何故なら、何かしようと思っても、僕はなっちのことを完全に解っているわけではないから。
なっちのことを解っているかといえば、如何に何年も応援してきたとは言え、何も解っていないわけです。解ったようなことを書いていても、それが真実かどうかはなっちに聞いてみないとわからないのですし、それどころかなっち自身も真実かどうか解らないかもしれません(我々が、自分自身についてさえ完全に理解しているとは言えないのと同じように)。考えてみれば、親友のことも完全にはわかりません。恋人のことも完全にはわかりません。当たり前のことです。もしもなっちについて何もかも解っているかのように書けるとすれば、それはなっちに正面から向き合っていないからです。正面から向き合っていれば、一人の人のことを断言するなど、恐ろしくてできるものではないと思います。


なっちに対して僕が提示できる真実が一つだけあります。それは「僕はなっちのことを大好きだ」ということ。シンプルすぎる、というか、身もフタもありませんが、主語を僕自身にすれば話は簡単です。こうして「僕はなっちが好きだ」と書くこと。紛れもない真実です。


何度か書いていると思いますが、常にこのことを基礎に置いて文章を書きたいと思っています。少なくとも僕自身が感じたことを僕自身が書くのであれば、それは真実に違いないのですから。


ただ、その際に問題になるのは「表現力」。感じたことを何でもかんでもテキトーに書けばいいというものではもちろんありませんよね。どんな文章にも(このような僕の駄文にさえ)書き手と読み手の両者がいるわけで、読み手の感情への想像力を最大限に働かせることは当然必要だと思っています。昨日も書きましたが、どんなに気をつけても誰かを傷つけてしまう可能性があるのですから。村上春樹でさえそのようなことを言っていました。ならば僕ごときが文章を書いて、一体どれほど無神経なことを知らず知らずにやっているか、と考えると時々恐ろしくなります(苦笑)。


ともかく、「なっちを語る」というより「なっちを大好きな僕自身のことを語る」ということ。それから「出来る限りポジティブな感情を」ということ。キレイゴトというのではなくて。


だって、好きな人・コトの話をして他の人と共感し合うことのほうが、嫌いな人・コトの話をして他の人と共感し合うことより余程楽しいから。


そう考えると、僕だって普段から忌み嫌っている「なっちをネタにして自分が楽しんでいるだけの人」のうちに入ってしまうのでは、とふと思いました。だけど、たとえそうだとしても、仮になっちがこのブログを見てくれたならば微笑んでくれるであろう、そんな態度でいたいと思います。


なんだかまたまとまらない文章になってしまいましたが(笑)、思ったことをつらつら書かせていただきました。こういうことを考えるきっかけを下さる色々な方と交流できていることは本当に嬉しいことです。


あ、そんな方々のブログを拝見していると、FCイベントに当選された方がたくさん。僕自身都合があって行けないだけに、「よかったですね」と素直に思える方がたくさんいらっしゃることは救いになります*2。いちいちコメントするのもアレなのでこちらで申し訳ないのですが、おめでとうございます。

*1:【私信】らっぱさんへ。僕については、「予想の範疇」または「既に偶然知ってしまっていた曲」だったので大丈夫ですよ^^

*2:もちろん、「詳細なレポを!」というプレッシャーをかけているのですが、なんて(笑)