僕自身のこととして

22歳の私』イントロ部で毎度毎度叫ぶ人について、それを止めようとした人との間でトラブルがあった件で、様々な場で様々なことが書かれています。僕もid:natsumi-crazy:20051108に書きました。それについてもう少し。


僕自身もずっと以前からあの叫び声をうるさく感じていました。以前どこかの記事で、叫ぶ人が近くにいたため、終演後に呼び止めてやめてくれるよう頼んだ(そしてネット上でも同じ意見が多いということを伝えた)のだが、「やめるつもりはない」という答えだったとの報告を読んだ記憶があります。僕はライブに行くたびに、もし近くにその人がいたならば同じように終演後に話してみるつもりでいたのですが、それを読んで落胆しました。口で言ってダメなら、あとは自発的にやめていただく他に解決を見ることはないでしょう。今回のように力ずくで止めようとする人が出てトラブルが起こるのは時間の問題だったと思います。結果的にステージに影響が出ていたのかどうかは判然としませんが、だからと言って止めようとした人を簡単に責める気は起こりません。それ自体は良くない行為ですが、気持ちは痛いほど解るからです。僕自身だって、目の前の人がその人であったならば、感情を抑えられるという自信はありません。


二日前の記事の繰り返しになりますが、僕はあの行為には何の正当性も無いと思っています。しつこく僕の主張を再掲しておくと、

(ライブ全体を通して「ステージに向かって叫ぶ」という行為は)初めから「する・しない」の二択が与えられているのではなく、「しない」が基本の状態であり「する」はライブの特質・客のテンションによって暗黙的に付け加えられたオプションであるということ。「する」と「しない」は対等な選択肢ではないのです。ですから、本来は自分で気付いて止めるべきことですが、少なくとも一度でも直接的にその行為が不快であると他の客に指摘されたならば、その時点でそれを止めるべきです。※その時点で「暗黙の了解」が成立していないのですから。

(※後の部分は、本日付の更新にて追記)
ということになります。


もっともこれは、感情的な書き方をしても仕方ないから、「何故いけないのか」を出来る限り論理的に述べたものです。感情の部分では、もうかなりの怒りが煮えたぎっていることは事実です。「なっちのコンサート」はステージと客席を含めて「なっちのコンサート」です。その客席にいる多くの人間が自分のせいで不快になっているということが「なっちのコンサート」への妨げ、侮辱になっているということに何故気付かないのでしょうか、という「第一の怒り」を筆頭に、恐らく並べ立てれば「第三十の怒り」ぐらいまであります(苦笑)。


しかし――いつものごとく前置きが長く、ここからが本題なのですが――誤解を恐れずに書けば、「僕にも責任がある」と思うのです。「ライブに参加している人全員に責任がある」と。ライブに参加している他の人が今後この問題でライブに悪影響を及ぼしてしまう危険がある、という意味で。


先日の東京公演でもお会いしたらっぱさんのブログで、印象的な記述がありました(こちら)。逆説的な引用になってしまうので申し訳ないのですが、引用させていただきます。

これってなっちのMCでは漠然としか言ってませんが、会場の雰囲気があったかいというのを、もし感じ取りたいのであれば、私は上記2曲の間奏部分(特になっちが目を閉じて全身で何かを感じ取ろうとする姿の場面)で、敢えて観客席をご覧ください。
目の前に広がるのは、色とりどりのサイリュウムが輝く、とっても不思議な世界。しかも視線は全てステージ上のなっちに向けられている…。

これを読んだ時に、なるほど「なちみのココロ」に少しでも触れたいと普段から真摯に活動されているからこその視点だと思いました。僕自身DVDでなっちの卒業公演の白サイリウムを見たときにも感じたのですが、本当に客席からの応援が一体になると大変な力が生まれるのだと感じています。


上記のことを思い出したのは、「もしもそれがネガティブに働いたなら」と感じてしまったということ。それは大変な「凶器」になり得るのではないかと思います。


「『22歳の私』イントロ問題」(とか勝手に命名してますが)、これは以前から断続的に話題に上ってきたことですが、今回の出来事でかなり加速度的に火がついていると感じます。ある場所では、その叫んでいる個人を特定する動きさえ出ています。一言で言えば「一部では過激になりつつある」と思うのです。


僕がその叫ぶ行為に大変な怒りを感じているのは前述の通りです。しかし、懸念もあります。あまりに客席が『22歳の私』イントロ部のことを意識しすぎて、会場全体の空気さえも変えてしまうことになり得まいかという。今回こうして火がついたことで、今までは心の中で舌打ちをしていただけの人も、叫び声に対する如実な感情を表に出してしまうのではないかと思います。叫び声が無くなるのが一番ですが、それにしても「叫ぶなよ、叫ぶなよ!」という殺伐とした空気が出来てしまうのではないかと。


もしそうなら、なっちにはそれが伝わってしまう筈です。なっちはただでさえステージから客席を良く意識してくれているのだし、まして、これから大切な曲を歌うために心を解放して精神を研ぎ澄ませている状態なのですから。MC中などと違い、今まさに歌い始めようとしているなっちは完全に無防備な状態です。間違いなくなっちの歌に影響を与えてしまうと思います。そうなってしまえば、もはや叫ぶ人だけの問題ではない、会場にいる人間全員の問題となってしまうのではないでしょうか。何度もそれが続いたら、なっちも意識してしまうのではないでしょうか。なっちにとってもファンにとっても本当に本当に大切な『22歳の私』という曲。なっち自身、ライブでそれを歌うことが躊躇われるようなことにしてしまっては断じていけない、と強く思います。


望むと望まざるにかかわらず、ライブに参加すれば「客席全体」の一部となってしまいます。僕は自分自身、常にそう重く考えるのではないとしても、やはり気持ちのどこかでそのことの責任を負うべきだと考えています。


今回の出来事。客席の一部に問題があるのですが、それを「自分とは全く別個の一部のバカ」の行いではなく「客席という全体」の一部にある「傷」だと捉えたい。僕自身がそれを構成する(ことがよくある)人間として、極論するならば僕自身の問題として捉えたいという気持ちです。「叩く」のではなく、「治す」という姿勢でいたいと思います。傷んだ部分を無思考にただ叩くことは、自分自身に痛みが返ってくるだけなのではと思います。


ここまでの記述が概念的なことばかりで、具体的な解決案を提示していないと思われるかもしれません。確かにその通りです。ただ、僕自身色々と想いを巡らせてはいるのですが、先日の出来事があり、そして今現在のネット上における状況があって、その後叫ぶ人はどうするのかということも静観したいと思っているのです。ちょうど次の新潟公演でツアーはラストですし(僕は参加できないのですが)。それでもまだ続くようであれば、その次のツアーまでに一ファンとして色々考えたいと思っています。


でもともかく、一気に今までの不満が爆発したという形で感情的な方向に流れてしまっているということを感じたので、新潟公演も迫っていますし、書かせていただきました。
参加しない僕がいえる筋合いではないかもしれません。また上記のことは僕の杞憂にすぎないのかもしれませんが、しかし新潟公演に参加される方、どうか殺伐とした空気を作ってしまうことの無いようにお願いしたいと思います。


<追記>
読み返してみましたが、ちょっと伝わり難いかもしれませんね。念のため書いておくと、僕は叫ぶ人をひとかけらも擁護なんかしていないですよ。現場近くにに居合わせた方の書き込みも見ましたし、知り合いの方も目撃した様子を書かれています。それを読むに、もう頭がおかしくなるほど怒りがこみ上げてきます。
ただ、感情に流されるあまり、空気をますます悪くしてしまうことになっては元も子もないということが言いたかったのですね。もちろん、多分に自戒の念も込めて書いています。