再開に際して

natsumi-crazy2006-03-24

こんばんは、青山通りです。


桜の開花もまぢか。もうコートが要らない日も多く、春が近づいていることを実感する今日この頃です。別れの季節・始まりの季節。僕にとっては、夜桜を肴に酒を飲みたい季節でもあるのですが(笑)。


いつもの様に個人的な話で恐縮なのですが、僕の世代、特に僕と全く同じ学年の人々は、今まさに「22歳の私」。順調に四年制大学を卒えた者であれば、ちょうど社会に飛び出す季節です。とは言っても現実にはそう順調にはいかぬ者も多く、久々に友人と会ってみても、皆それぞれに苦労している模様。


僕はと言えば、その中でも最も遠回りをしている部類の人間です。進路変更のために大学に再入学するなどという者は、あまり見掛けません(そのために忙しい忙しいと言って、更新を停止していたのですが)。どうも僕は「ザイルやロープを使って一直線に登る」ではなく、「螺旋階段を回るように少しずつ高さを稼ぐ」ような生き方になってしまう傾向があるようで、我ながら苦笑しているのですが。


それはともかく、「僕らの世代」。それは、1年や2年の誤差はあれど、例えばおおよそ14歳の頃には「14歳が危険だ」と言われ、おおよそ17歳の頃には「17歳が危険だ」と盛んに言われたような、そんな世代です。そんな「ブーム」が幾年か前にあったことを覚えていらっしゃるでしょうか。


だからこそ僕は、「世代に属する」という考え方を無意識下に嫌悪していました。そんな乱暴なカテゴライズって無いんじゃないか、と。もしも僕が危険な存在であるのならそれでいい。だけどそれは、僕自身が危険なだけで、それ以上でもそれ以下でもないのだ、と思っていました。だんだんと「14歳なのだから何か鬱屈した衝動のようなものを抱え込まねばならない」のような本末転倒の圧迫感を社会から感じるようにさえなったことを覚えています。


だけど今、「僕らの世代」ということを強く思うのです。


「僕らの世代」のある一人は、22歳どころか、15歳でとてつもなく広大な世界に飛び出していきました。夢見る力の荒ぶる衝動を抑えきれずに。僕はそれをずっと見つめていました。彼女は――その人は、まだその時は世間知らずの小さな女の子でした――さまざまな困難に立ち向かい、戦い、傷つき、時には打ちのめされ、それでも自分の想いに忠実に、歩みを進めてきました。

楽しいことばかりじゃないはずなのに いつもあなたは笑っているわ

YUKI 『キスをしようよ』)


彼女の笑顔がとても哀しく思えることがあります。それは、その笑顔が、彼女の負ってきた傷を物語っているから。そのような傷を負って来た者だからこそできる笑顔だから。そう感じたりもします。


そして、最近ふと、こうも思ったのです。彼女の傷は、僕らの世代が立ち向かっていくべきものを、戦わなくてはならない宿命的な何かを示してくれているのではないかと。真っ先に世界に飛び出して行った彼女は、真っ先にそれらと戦い、そして傷つきました。それでもなお戦い続けています。笑顔を絶やさずに。


まだおぼろげにしか見えないその「戦わなくてはならない何か」。それでもそれに立ち向かっていこう、という勇気を、彼女は僕にくれます。彼女の背中に続こう、と。僕は僕なりに、僕の世界で戦っていこうと。同じ空の下のどこかにいる彼女を想いながら。彼女の、歌手・安倍なつみの歌を聴きながら、口ずさみながら。


小学校の教科書にも載っている、吉野弘の『I was born』という詩があります。この中で主人公の少年は、このフレーズが受身形であることに気付きます。「正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。」小学生の時分、この詩に非常な衝撃を受けた記憶があります。


僕が意志と無関係に生まれてきたその時代が、たまたま彼女のそれと同じであったこと。そして彼女はその生に強烈な意志を反映させていること。彼女と出会い、そんな彼女の姿に魅せられた多くの人と同じ時代にいられること。奇跡といってもいいような出来事だと思います。


そんな奇跡の中で、「同世代」だけでなく「同時代」の戦友たちとも想いを分かち合い、ぶつけ合う。例えば僕はこの場を通して、そんなことが出来ているような気もしています。


僕自身、新たな生活が始まります。まだ暫くは忙しいのですが……なっちへの想いを改めて深めながら、「逝的人間」、再開いたします。変わり映えのしない拙い文ではありますが、宜しければお付き合いくださいませ。