僕の左手

こんばんは、青山通りです。


■なんだか随分昔の記事にTBを頂いているなあと思ったら(id:flyingprincess)、ディナーショーに参加した時の記事について取り上げて頂いていました。なんだか恥ずかしくもあるけれど、僕の個人的な感情を綴った文章をよく読んでいただいたようで、嬉しくもあります。


そのときの僕の記事を読んで「素敵な人の愛し方」と評していただいていて、大変嬉しいのですが、でもそうなのかなあ、とちょっと思います。なっちに対する姿勢はとことん真っ直ぐであろうと思っているし、ある程度はそうである自負もあるけれど、それは何かしらの反動ではないのかな、と思うわけです。つまり、普段の日常における様々な「愛」がイビツでねじれたものであるからこそ、なっちに対しては殊更に真っ直ぐな気持ちでいられるのかなと。


それってつまり、なっちが「到達不可能」の存在だと思っているっていうことですよね。刹那的であるにせよ「到達した」かのように見えるディナーショーという場で、なっちへの姿勢がやはり普段と変わっていないということは、そういうことなのかなと思います。


でも僕は一方で、なっちを「向こう側の人」ではない一人の生身の人間として見ていきたい、という気持ちを持っていて、そのあたりで少し自己矛盾があるなあと思ってしまいました。


みたいなことを考えてみたりしました。


ところで、なっちの北海道凱旋ディナーショーが行われましたね。様々な人の感想を見ると、曲目だとか構成は当然変わっていくにしても、僕が昨夏参加したときのあの温かな空間は相変わらずであるようで、嬉しく思っています。


ディナーショーという少人数制の企画自体の是非については、幾度か書いてきた通りに、複雑な気持ちが色々とあります。しかしそれはそれとして、ショーが行われるからには、やはりそれは素晴らしいものであって欲しいと願うのは当然ですからね。それぞれの想いを伝えられる、親密な場であって欲しいです。普段のコンサートも含めて。


だらだらとまとまりがないなあ。


■まあ、でも僕も自分のことを自分で考えてみたら上記のようなことをグダグダ考えるけれど、周囲の方を見ていると、皆さん自分の中に葛藤はあるであろうにせよ、外から見れば素敵な「恋」だなあと思うことは多々あるわけですね。


僕がそんな風に思う方々の一人、あいぼんに恋するイッシィさんが超絶キャワなっちイラストをupしてくださったので、例によってご紹介させていただきます(id:ishicoro:20060529)。


いやあ、おなかいっぱい。僕はこのなっちの「左手」が好きです。なぜかわからないけど。