私信です。

コメント欄の一番上・二番目にコメント頂いたお二人への私信です。ですが、お二人以外の方が読まれても、上記に書いたことの補足的な記述となるかもしれません。
それから僕の日記では「続きを読む」記法が何故かどう足掻いても使えないので、思いっきり広げて書きます(苦笑)。あと、重なる部分もあるので、失礼ながら一部は同時にお二人に宛てて書かせていただきます、すみません。


で…
僕はもちろん、みるくさんのコメント欄でのやり取りも拝見しました。こんなこと言うまでも無いこととは思いますが、僕はそれだけを念頭に置いていたわけではなく、ましてやそのコメントをされた方を批判しようというのでももちろんなく、それも含めて、最近「なっちが歌詞を間違うこと」について色々なことが言われることが多いので僕なりに様々に考えていたところ、みるくさんの記述で大変頷かされるものがあったので、引用させていただいたんですね。
ところで、僕もお二人と同じく、没入しきっていて全く気づきませんでした^^;


>みるくさん
「もうページは書けない」は確かに問題アリですよね^^; ですが、その種の間違いはたぶん少ないと思います。ちょっと色々確認してみましたが(方法は秘密、笑)ほとんどは「もう続きは書けない」が丸ごと「もうページはいらない」になっていたり。意味としては普通に通るんです。これね……「毎回毎回同じ間違いを繰り返す」なんてことが有り得るだろうか? と思うんですよね。なっちは大変に入り込んで歌っていたのは確かで、例えば(妄想めいてきますが)最初の2〜3公演で「どうしても(癖になって)間違ってしまう」と監督さんとかに相談して、「意味不明な日本語にならない限り、歌詞を気にしすぎて縮こまるより、思い切って感情に任せていった方が舞台としていい」みたいなことになっていたのかもしれません。つまり、背景がきちんと存在したということですが。もちろん創造の範疇を出ないことですが、そういうことがあっても全く不思議じゃない、という程度には思ってるんですよね。
つんくさんの例を出していただいて、非常にわかりやすかったです。僕も(偉そうに言ってみると、笑)基本的には同じスタンスです。
「離れないでね」ですが、なんだか僕はその場にいなかったことが非常に悔しいです(笑)。「大っキライ!」の最終公演ですよね? たぶんなっちが色々語ってくれたこととも繋がってくる「離れないでね」だったのじゃないかなあ、と思ったりします。


>らっぱさん
よくわかります。「歌詞や台詞に「アドリブ」は不要だって言う作詞家や演出家だっています」というのもその通りですよね。ジャズなんかが好きな僕は、アドリブこそ芸術の真骨頂の一つだ、と思ったりするんですけどね^^ 色々な考え方があります。
で、なっちの中にも「なっちなりの確固たる考え方」があると思うんですよ。だって、あの真面目ななっちです。(あまり触れたくないですが)「あの頃」に「歌手である自分にとって歌詞とは何なのか?」っていうことを、もしかすると血を吐きそうになるまで、考えに考え抜いていたに決まってるはずだと思うんです。上記のみるくさんへのレスで妄想っぽいことにまで至っていますが(苦笑)、背景にはそういう僕の思いがあるんですよね。ちょっとしたミスはする(もともとドジな子だし)だろうけど、「歌詞に対する根本的な認識の甘さ」ってのが今のなっちにあるはずないと思うんです。それでこの話題について色々と思いを巡らせてしまうんですね。
そんなわけで、「根本的に間違っちゃいけないのは…」以下でらっぱさんが仰ることは非常によくわかります。そして、らっぱさんが対立項とされている後者(=「想いの自然な発露」)の次元でなっちは歌っているのだ、ということを僕は感じています。


お二人に「長文すみません」と言われているのに(長文全然OKですよ)、僕のレスの方が長ったらしくなってしまいました。すみません(笑)。


でもね、繰り返しになるから細かくは書きませんが、やはり「彼女にとっての歌詞」というテーマは、ずーっとずっと、何度も何度も僕は考えています。そして「僕にとっての歌詞」についても。だからこんなに色々と書いてしまうんですよね^^;