ストレスを買いに

こんにちは、青山通りです。今日もダラダラと…。


・学校っていうとこに通い始めて16年+αになるけど、ここでは「やらされること」の95%が無意味だということにはもういい加減気付いております。それで「自分からやること」って、小学生とかの頃は100%意味があったわけだけど、最高学府たる大学ともなるとそうとも言い切れんなあ、と。まあわざわざ地元から500キロ以上離れて勉強しに来る意味は自分の中ではあるからいいんだけどさ。ボカァ教室より図書館の方が好きです。


・ただの愚痴を書いてしまいました。いい加減ストレスもたまっているので、『ザ・ストレス』これから買いに行こうと思います。はぁ、ようやく買える。ついでに何か他のCDも買ってこようかな。ちょっと思うことを書いてから。


・で、唐突に、最近思うこと。自分の中で「あるべきなっち像」をカチッと創り上げて、「ライブを見に行くこと」=「そのなっち像と本人が一致するのを確かめに行く」的な姿勢は、それが一貫していれば別にいいんだと思うのだけど、僕はそうではないのですね。どっちかというと、僕の想像力を突き破るような「まだ見ぬ安倍なつみ」を体験しに行くわけです。どんどん僕のつまらない予想とか先入観とかをブチ破って欲しいと思っております。


だからね、これ何度も書いてますが、僕にとって、歌詞を間違うことそれ自体は全然悪いことではないんです(id:natsumi-crazy:20051027:1130437219にも書きましたので、良ければご参照を)。別に間違うことによって「まだ見ぬなっち」が体験できるってわけではないですよ。でも、あまり気にすべきことでもないし、気にならないんですね。たぶんそれが嫌だって人は、上記の「なっち像」的なスタンスの人なんだろうなと思います。もしくは、ヒョーロンカのヒトでしょう。「それでは、伝わるものも伝わらないのであーる。プロとしてどうたらこうたら、なんたらかんたら、なのであーる」みたいな。でも「伝わる」とかってそんなことを考える間もない刹那の出来事だと思うんですけどね。そういう人って、歌詞正しく歌ったとしてもはたして「伝わる」のかな。「ブログにどのように感想を書いてやろうか」を常に考えながらライブに参加しちゃってるんじゃないのかなぁ。もっとカンジョーテキに、「CDと詞が違うと違和感を感じて集中力が殺がれちゃうから、俺はCDの通り歌って欲しいんだ!」っていう意見だったら、「そうなのか、そういう人もいるのか!」と納得できるし、素直に受け入れることもできるのだけど。


あと、見過ごされがちだなあと思うこと。たまに、「なっちはわざと歌詞を変えてるな」と思うことがあります。こういう場合はいい意味で「気になる」んですね。お世話になっているなつみるくさんの記述(id:natsumilk:20060628)から。

静岡夜公演では「腕組んで帰りたい」の歌詞を、このように唄っていました。

いまだって好きすぎて 泣きそうなのよ

そばにいて そばにいて 離れないでね


本来なら”離さないでね”と唄う歌詞を”離れないでね”と。”さ”と”れ”という、たった一文字の違いだけれども、そこになっちのファンへの大いなる気持ちが入り込んでいたのだと思います。


「わざと」というと語弊があるかもしれないけれど、例えば元の歌詞と違うことが「不注意」とかそういうことに起因するのではなくて、(上にリンクした僕の以前の文章でも述べましたが)「想いの自然な発露」としてそうなっているのだろう、っていう。そういうのはむしろ嬉しいです。だって歌詞がそのままなら「何故正しく歌っているのか?」なんて考えないけれど、違っていたら「何故違うのだ?」と考えるから。引用した記述のように、そこになっちの特別な想いを感じるから。


もちろん不注意とかで「間違えちゃう」こともあるけど、「変えている」ことが思った以上に多いのだよ、ということ。なっちの「ドジでお茶目でどっか抜けてる」というパーソナリティから、どこか上から目線めいた言い方をする方が多いと思いますけど(あるいは、なっちより年上のファン(?)の方が多いってのも理由なのかな。ちなみに僕は下です)、あんまりなっちのことナメんなよ、と言いたいですね。


そうそう、それで思い出したけれど、DEF.DIVAの歌番組でのパフォーマンスで、なっちがあの(失恋をテーマにした)曲で笑顔を見せていたことをどうこう言っていた輩がいましたが、「なっちが何も考えずやってるからああなった」という前提で言ってる奴はもうちょっとなっちを良く見て学んでからモノを言えと思いました。みたいなことをここに書いて、ちょっとカゲキだったから後で消したのですが、そしたらその後別の場でなっちが「なっちはあそこは笑顔がいいと考えてああしたんだけどなあ」みたいなことを言っていて、「ほれ見たことか!」と思ってました一人で。いやなっちの意図を汲んだ上で「でも俺はそうじゃない方がいいと思う」って言うのなら全っ然OKなんですけどね。


えーと。とりあえず言いたいのは、あんま安倍なつみをナメんじゃねえぞコノヤロー、ってことでした。某所でコメントさせていただいた時に使った言葉なんですが、あの人は「暴力的なまでにパワフルな理性」を持ってるんですよ。と、私は確信しています(昔裕ちゃんとかミカとか重さんとか(松浦さんもかな)出てた「Mの黙示録」の評論家のオッサン風に。冨澤さんだっけか)。


さあ、『ザ・ストレス』CD買いに行こうっと。ちょっとPVも見たけど、僕かなり好きです。これについても、そのうち。


わざわざ書くのも野暮だけど……追記
僕だって、ある程度考えてやってるんですね。例えば本文で「ヒョーロンカ」という単語と「評論家」という単語が出てるのはもちろん意図的なことですし、他にも色々細かい仕掛けをすることは多いです。文章中にね。いわんやプロの表現者であるなっちをや、ですよ。