なっちファンとして『トゥーランドット』に思うこと。

前々回から引き続き、『祝祭音楽劇トゥーランドット』について。
千秋楽公演も大盛況のうちに終了したようでなによりです。
もう一度見たかったなあ、という思いもありつつ、本当にお疲れ様でしたとキャスト・スタッフその他関係者の皆様に言いたいです。それから「ありがとう」を。


なっちは、少しの間でもゆったりと過ごせる時間を得られればいいんですけどね。それは休憩という意味でもそうだし、それとは別に、じっくりとこの舞台の濃密な経験を馴染ませる、みたいなことも必要なのかなと。僕なんかが偉そうに言うことじゃないですけどね(笑)。


結構やっておられるなっちファンの方は多いと思うのだけど、僕も様々な「なっちファンでない方」の観劇の感想を見て回ったりしていました。もうほとんど、自動販売機のお釣り返却口に小銭が無いか確かめて回るみたいな残念さもちょっと自分に対して感じましたが(笑)。
それにしても賞賛のコメントが本当に多くて、以前にも書きましたが、なんだか嬉しくなります。誇らしくすら思う自分に少し後ろめたくなりつつ*1、でもやっぱり誇らしい。
また、東京〜大阪公演あたりの期間は「意外にも安部なつみ*2が良かった」という感想が多かったことに対し、千秋楽が近づくと、やはり事前に情報収集していかれる方が多いのでしょうが、「評判どおり阿部なつみ*3がよかった」になってきて、それもちょっと嬉しかったですね。なっちに対する認識の変化が安定しているように思わせてもらいました。


……という感じなのだけど、やはり複雑な思いは結構あるわけで。いや誤字はいずれ、ってことでいいんですよもう。「なっち」っていう無敵のニックネームがありますし。そうではなくて。


「アイドルをやらせておくのはもったいない」という種のコメントが非常に多く見られました。これが複雑。


まず僕の中には、正直言って、大いに同意する気持ちがあります。僕はやはり根本的には、アイドルとしての安倍なつみじゃなくて歌手・女優としての安倍なつみが好きなわけですから、同意するのは自然なことなんですね。
だけど、反発する気持ちもあるんです。確かにもったいないかもしれない。しかし同時に、世間的にはアイドルとされているという先入観から「実は素晴らしい」表現者を敬遠するような態度も「もったいない」のですよ、という気持ち。……まあ、そのようなことを書かれる方は、その点では認識を新たにしてくれた*4とは思うんですけど。


モー娘。時代とは別物」「一皮剥けた」「相当訓練したのだろう」……という種のコメントについても。全部ある意味でその通り、うんうん、と頷く気持ちがあります。それはもちろんそうです。だけどひねくれ者の僕は少し違和感もまた感じてしまうのでして。


別物と見えるほどに成長しているけど、別物じゃないんですよ、と。今のなっちは、モー娘。としての経験あってこそのなっち。その土台の上に様々なことを積み重ねてきたからあの表現に辿り着いたのですよ、と思います。「モー娘。時代はろくな訓練をしていなかった」わけではありませんよ、その時代の全ての出来事自体が訓練となって、あの歌声・演技だったのですよ、と言いたい。「相当訓練した」というのはその通りだが、それはこの数ヶ月の「直接舞台に結びつく」訓練のみならず、この十年間の「土台をしっかりと固める」訓練のことも含んでいるというのが真実なのですよ、と主張したいです。


短期間の間にレッスンを受けて発声を構築し直せる柔軟さ、開幕後に至るまで刻々と変化するセリフや動きを体に叩き込む力、おびただしい数の周囲の表現者と自分の表現を溶け合わせて昇華させる力、そうした知力と体力。それらをきちんと発露させるための舞台度胸。そしてそんな中でも、常に客を楽しませるという目的に意識的/無意識的に向かうエンタティナーとしての姿勢。全ての根本には、モーニング娘。としての月日があるのです。さらに言うなら、何も持たないただの「夢見る田舎娘」だったそれ以前の時代があるのです。これはデビュー以来常に安倍なつみを見てきた人間として、断言します。


……こんなことを書いて、だからどうなんだという感じではありますが。何故書いたか、っていうのは以下のような思いからであると思います。


「一般ウケ」に対する過度の信仰みたいなものを持ってしまう空気をなっちとかハロプロのファンにしばしば感じますが、まあ色眼鏡で見られるという「アイドル」の宿命に直面してきたファンとしては仕方のない部分もあるとは思います。前述しましたが、僕にも「どこか後ろめたいながら誇らしい」という気持ちはあります。
だけど、そのような「一般」の――特別ファンというわけではない――人々には見えていない(であろう)部分があります。これは批判しているのではなくて、見えなくて当然なのです、もちろん。
しかしそこで、「だけど俺は知っているぞ」と思うのです。「宮本亜門は知っている」ように、俺は知ってるぞと。
なっちのファンとしては是非とも主張したい・しておくべきだ、と思って、このようなかなりひねくれたようにも見える文章を書いたわけです。


まあ、こんな主張が出来るのも、なっちがあれほどの表現を見せてくれたからこそなんですけどね。


次はまた、お芝居の中身に移って。
リューの取った二つのソロについてでも書こうかなと思います。

*1:ファンだというだけでなっちへの評価に便乗して気持ちよくなってるだけじゃねえか、っていう意味で

*2:この誤字がたぶん一番多いですね……

*3:たぶん二番目に多い誤字、ちょっと字面的にさすがに違和感持って欲しいのですが……苦笑

*4:「くれた」とか書きたくない(僕が偉そうだという意味で)んですけどね。まあひとまずこう表現します