なっちのためなのかファンのためなのか

そうした「ファンが団結して何かを発するような企画」には懐疑的である、というスタンスの人は多いように思います。というか、実は僕自身普段はどちらかというとそうした立場です。そして、そうした懐疑的な理由を自分の中で見定めておられる方はともかく(一応僕もそのつもりではあります、以下に示しますが)、漠然と懐疑的な姿勢をとっているうちにそれが嫌悪感へとつながっているような方もおられるのではないかと、僕なりに様々な意見を見聞きして感じているわけです。


僕自身の「理由」を述べるのならば、それは(一部の人々に、ではありますが)「本来の趣旨と現状のズレ」を感じるからなのです。
まず出発点としては、コンサートには「コール・アンド・レスポンス」的な双方向性というものが存在するものの、基本には当然、舞台にいるハローのメンバーたちが「主」であり、客席にいる我々が文字通り「客」であるというという認識があるべきです。彼女たちが「発信する側」であり、我々が「受信する側」であるという(お客様は神様だとかいう議論とは全く別の次元の話ですよ、念のため)。
しかし例えば誰かしらの卒業のコンサートにおいて、各々が声援を送るなどするだけではとても伝えきれない、大きな「(例えば今までの活躍に対して、これから旅立っていく決意に対しての)レスポンス」としてのメッセージがファンの中にあり、しかも多くの人がそれを共有しているという前提のもとに、ならばそうした「特別な時」には一致団結してそのメッセージを能動的に示そうではないか、ということが形になったものが、本来のそうした「企画」であったと思うんですよね。それはファン心理の発露としては非常に自然なものだと思いますし、それを嫌悪する理由など全く無いと思います。個人的に。


しかるにそうしたものが「恒例化」してしまった今、そして「サイリウム祭」などという的外れな言葉が平然と使われるようになった今、そうした本来の動機を見失って(あるいは最初から持たずに)それに参加するような人間の空気も、残念ですが、一部には感じられるように思います。
例えば「ファンの想いを伝える」ということが目的であるのに、「それに対して反応してもらうこと」が目的となってしまっている部分を感じます。もちろんメッセージを送る以上メンバーの反応を望むのは当然ですが。
また、「サイリウム祭成功」などという言葉を見ると、上記のこととも関連して、まるで自分たちが満足するためだけに企画に参加していたのではないか、という疑問を感じます。ステージ上のメンバーが涙したら成功なのでしょうか。そのことを彼女が後にラジオ番組で話題にしてくれたから、あるいはマスコミに報道されたから成功なのでしょうか。そもそもコンサートという祭の中で、さらに祭が行われるなどということは滑稽です。「コンサートという祭の中ではあれど、それが特別なステージであるからこそ、本来は受け手の側のファンがあえて何かを発信するのだ」という意識が無ければ、それは自己満足に終わってしまうのではないかと思うのです。周囲の迷惑を顧みずにボードを掲げる人間や、目の前でメンバーが懸命に歌い踊っているのに、それを見ずにヲタ芸をしているような人間に感じるのと同じようなものを一部に感じずにはいられないわけです。
もちろん、多くの人は本来の動機を見失わずに参加していると思いますけれども(思いたいです)。


つまりは「ファンのエゴの発露」になってしまってはいけないということです。サイトの管理スタッフとして、知らず知らずにそうした方向に傾いてしまわないように気をつけなければな、と思っている次第です。


しかしそれでもなお、多くの方の「何らかの形で団結してなっちを迎えてあげたい」という気持ちを多くご意見として頂いたからこそ、そうしたことを実行に移すために試行錯誤をしているという面があります。僕自身も、「特別な状況からの特別な復帰だから、普段のライブでの拍手など以上に何か特別な形で迎えてあげたい」という想いはあります。が、正直、「結果として」であれ、自己満足に堕してしまわないかという、恐怖のような複雑な気持ちもあります。それがただの僕だけの自己嫌悪ならば別に構いませんが、いや、構わないことはないんですが、それよりも公演になにかしらの悪影響を与えてしまうことは絶対にあってはなりませんから、様々な可能性をさらに考慮しなくてはならないと思っています。


そうしたことを考えると、「開演時に白サイリウムを掲げるのは、なっちが感極まってしまってイベントをぶち壊してしまうことにならないか」という懸念を示される方の意見は、非常に考えるべき点が多いように思いました。かなり難しい問題です。想いの押し付けになってしまわないか。しかし想いの押し付けとは具体的にどういうことを言うのか。もしなっちが涙にむせび、流れが一時途切れることになったとして、「負」の方向にではない「正」の方向への観客のアクションでそうなることを「ぶち壊し」と言うのか。
あるいは、プロとしてのなっちを信じるべきではないのか、卒コンの時だって立派に「22歳の私」を歌い切ってくれたではないか、という意見もあるかもしれません。しかし、それとは状況が違う、「プロとしてのなっち」ということで自己正当化しているだけではないかという反論もあるでしょう。
サイトとして大きく変更することは無いだろうとは思います。しかし様々なことを考慮して、「注意書きを付け加える」ことは必要かとは思っています。また、当日のセットリスト等に関して具体的なリサーチも(できるならば)色々と模索していくことは絶対に必要であると思っています。


さてと、自分のブログだからもうちょっと乱暴なことを書いていいでしょうか。
正直、上記のような姿勢で出来る限りのことをしてきたのだから、少なくともきちんとサイトの趣旨なり書き込みなりを読んだ上で批判をして欲しいよ、とは思います(非常に偉そうな言い方で申し訳ないですが、真摯な姿勢なのだから批判も真摯にしてくれ、それなら甘んじて受けるという意味ですよ)。手前勝手な意見かも知れませんが。自分のブログだけで無責任な文句を言っているような人を見ると、正直少し腹が立ちますね。もちろん、「反対意見があるならうちの掲示板に書けやコラ!」と言うような偉そうなことを言うつもりはありません。しかし、掲示板に書き込んでくださった皆さんの書き込みの中には、様々な問題を細やかに考えた上で苦心されて書き込まれた跡が見られるものも多くあります。当然管理サイドも最大限そういったものを汲み取ろうと努力しているわけです(もちろん、それは当然のことですが)。明らかにそういったものを読まずに印象だけで批判している人が結構見られます。「どうせ周りの迷惑顧みずになっちのためとか称して自己満足の企画やって悦に入ってるだけなんだろ」というスタンスの批判には、怒りを通り越して悲しくなります。根本の部分で違和感を感じる対象は僕と共通しているだろうと感じるだけに。せめて批判するならば相手を知ってからして欲しいです。未確認情報を批判ですか。結構なことですね。自分のサイトだからって、自分の文章に責任を持たなくていいわけではないんですよ。


まだまだ迷っています。それでも、なっちの笑顔のために何か出来ることをと、必死に考えています。決してなっちに主張して、感謝されたくてやってるわけじゃないんです。


何が言いたかったかって、ただこういう考えを持った人間がそのサイトの管理スタッフの一員なんです、ということを言いたかっただけです。「こうしたものに先入観があるかもしれないけど、一応こういったことをひととおり考えた上でやってんだよう!」と主張したかったというのもあります。「お祭」などではありません。多くの人から見れば滑稽かもしれませんが「闘い」のつもりです。一時は本当に、なっち再起不能の覚悟さえしたんです。なっちがもう一度我々の前で笑顔を見せてくれるための力になれるならそれでいい。もちろん、「なっちのために何か出来ることを模索する」ということ自体で自分自身を奮い立たせているということを否定はしません。しかしそのことへの自己認識を持つことと、それが逆にエゴになってしまわないようにとのバランス感覚を保とうという努力はしているつもりです。


ここまでこのダラダラと長く論理性が未熟な駄文を読んでくださった奇特な方、本当に有難うございます。
これを読んでいただいて、何か意見を下さったり、そうでなくとも新たに何かを考えるきっかけになってくだされば(特に我がサイトの利用者の方に、そしてなっちのファンの皆様に)本当に幸いに思います。


それから、中途半端なタイミングですが、この場を借りまして。管理人氏ともう一人の副管理人氏、そして協力者の皆さん、書き込んでいただいている皆さんに、心から感謝します。
別に終わりとかじゃないのに言うのもアレですが、言いたかったのです。


これからも頑張ります。頑張りましょう。