『夢ならば』となっち

natsumi-crazy2005-04-23


遅ればせながら。なっち4枚目・渾身のシングル『夢ならば』、発売日に購入して以来、C/Wの『空 LIFE GOES ON』と合わせてもう100回以上は軽く聴いている気がします。ごくごく個人的なものですが、感想を記しておきます。歌詞だとか曲そのものについては、何を書いてもどなたかが書かれていることとかぶってしまでしょうから、「この曲を歌うなっち」の感想を。


『夢ならば』。名古屋娘。コンで披露した際のなっちの表情が忘れられず、聴くたびにそれが蘇ってきます。切なく、儚く、しかし強い眼差し。
各雑誌インタヴューやラジオ出演などで、この曲についてなっちが強調していることが、私見ですが大きく分けて2点あると思います。一つは、「切ない楽曲だけど、その裏に前向きな気持ちが秘められているのだ」ということ。もう一つは、「この曲を歌うことで歌手としての原点に戻れて歌うことの喜びを実感した、今後も表現を追求したい」という内容。その時々で表現の仕方は異なりますが、今回なっちが「楽曲について」と「それを歌う歌手たる自分自身について」という2点に、非常に強く明確な想いを抱いていることが伺えました。またそんななっちのコメントを聞いて、以下のような事を感じました。


僕は今まで「なっちの魅力」について、それはひと口で語れるものでは無いけれど、一つ僕の心を強く捉える要素を挙げるならば『どこかしら哀しみをたたえた笑顔』であると思ってきました。たとえば、前回言及した野村誠一氏撮影の写真集『ナッチ』はそれを非常に良く表していると思います。何か大きな哀しみを知っていて、それを受け止め、受け入れ、乗り越えた者だからこそできる表情。説明するのは難しいですが、そういう笑顔です。


それらは今まで、基本的に動画や写真でのふとした場面で無意識的になっちが見せるものであったと思います。しかし、今回の『夢ならば』でなっちはまさにそれを「表現として」体現していると感じました。どの部分を歌うときの表情、というのではなく、歌い回しから表情、それが醸し出す空気感に至るまで全ての部分で。『どこかしら哀しみをたたえた笑顔』というより、『哀しみ・痛みを知る笑顔』というのが適当かもしれません。


自らを省みなければならない出来事があって、なっちは自問自答を繰り返したことでしょう。そんな中で、もともと自分が持っていた哀しみ・痛み、そして新たに知った痛みを昇華し、自然に表現へとつなげることが出来たのかもしれないと思ったりもします。表現のレベルの向上が、なっちが辛い経験と真剣に向き合ってそれを乗り越えたことを表しているようで、なんだか聴くにつけ嬉しさがこみ上げてきます。同時に、なっちへの尊敬の念も一層強まりました。歌詞の内容云々ではなく、この楽曲とそれを表現するなっち自身が「安倍なつみ復活」をとても雄弁に語っていると感じています。


僕が子どもの頃、ちょうど「流行り歌」に興味を持ち始める年齢の頃に聴いた曲で、今でも印象に残っているものがあります。未だに活躍しているB'zの『裸足の女神』という曲。小学生の僕には当時は歌詞の意味なんて全然わかりませんでしたが(笑)、その一部を引用したいと思います。



OH MY 裸足の女神よ キズを隠さなくていいよ
痛みを知るまなざしは 深く澄んでもう萎れることはない


(B'z『裸足の女神』、詞・稲葉浩志