ふれあいコンについて

とりあえず4箇所8公演が終了して、色々と起きていたパニック状態も収まってきた模様ですね。僕の中でもそうです。もちろんそれは「受け入れた」ということではなくて、気持ちの整理ができたということですが。


僕の考えは何度か書きましたが、他の方の意見で特に非常に強く共感できたものは、何度も引き合いに出させていただいて恐縮ですがid:natsumilk:20050621さんのもの。また、その日の更新にコメントもされていますが、アンテナにも登録させていただいている、日頃から的確かつ深い表現でなっちへの想いを書いていらっしゃる高野博さんの6月11日以降の一連の更新。


上に紹介させていただいた方々の考えと僕の考えにおいて共通している重要なポイントというのが幾つかあると思います。

まず、歌手であるなっちのファンとして、今回の構成は到底受け入れられるものではないということ。
もちろんその責任は他の出演者や、ましてなっち自身にあるのではないということ。
不満があるのはもちろんだが、目の前に笑顔でステージに立っているなっちが居る限り、それを楽しみたい(楽しむことが出来る)ということ。


えー…もし間違いがあったらご指摘くださいm(_ _)m


色々ななっちファンの方の現場レポートを見る限り、僕自身が現場で感じたわけではないのですが、先週末のライブ会場ではファンの側から能動的に楽しもうという空気が見られたようですね。ふと、多くのファンは、上に挙げたような考えを持っているのではないかなと感じました。それがそういう空気を形成する原動力になっているのではないかと。


なっちとファンが力を合わせて温かな空間を作るというのは、今までにも見られたなっちのコンサートにおける大きな美点の一つですが、今回このような構成になったことへの反動として、より強くそのような動きが出てきているのではないかと思います。


上記リンク先でも述べられていますが、事務所にはこれを「成功」とは捉えて欲しくないと思います。どんなひどい状態であっても、なっちと我々の心が通じているからこそ、そのような暖かな雰囲気が出来ているのだということ。実際問題、演者やファンがアクションをする以前の段階で構成する人間が用意すべきものとしては、今回用意されたものは落第点以下だと僕は考えています。そのことはきっちりと指摘しておかなければなりません。


ネットでこのように文章を発信することは常に「多くの人の目に触れる場所に書いているのだ」という意識を必要とするのは当然ですが、以前サイトをしていた時に意識しなければならないと強く感じたことがもう一つあります。それは「誰もがそれを見てくれているのではない」ということ。少々偉そうなことを書きますが、事務所に対して今回のような不満があるときに、自らのブログ等だけに書いて「こういうファンも居るってわかって欲しいよね」と済ませるのは、「ファン」としては愚の骨頂です。それは同じ不満を持つ者とため息を共有して憂さを晴らす、ただの自己満足に過ぎません。


浜松公演の後になるかと思いますが、僕も何かしらの要望を事務所に宛てて送ろうと思っています。普段我々は大きな括りで「事務所はダメだ」というようなことを言いますが、現場レベルのスタッフには、熱い気持ちでなっちのことを考えてくれている方が少なからずいらっしゃるのは確かです。目に見える形にならなくとも、きっと何かの力になるはずです。
その際には、事務所に要望した内容をここでお知らせしたいと思っています。大したことは書けないと思いますけど(苦笑)。


また、その時に続きを。