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こんばんは、青山通りです。


もしかすると不愉快に思われる方も多いかもしれないと思うのだけれど、書いておきたいこと。もうなっちのイベント、特に10000円以上かかるようなイベントに対する疑問は以前にかなりきちんと書いてしまったので、そこで書いた内容を繰り返すことはしません。少し個人的な見方から書いてみようと思うのですが。


ある学生がいて、学生の身分であるから自由に使えるお金も少ない、そして本分たる勉学がかなり忙しくてアルバイトもそうは出来ない、そういう日常を彼なりに頑張っている。彼は安倍なつみさんの大ファンなのですが、そんな生活の中で安倍なつみさんの歌を生で聴くことをとてもとても楽しみにしているわけです。それで目の前に機会は提示されるわけですが、たとえばイベントが遠方で行われて行き難い、それはなんとか時間の都合をつけたとしても、ただでさえ馬鹿高い参加費に交通費を合わせて数万円がかかってしまい、やはりとても参加が出来ない。虚しい。ということになってしまうわけです。


いや、それって僕のことですけどね。


僕が以前から思っているのは、時間の都合とか居住地だとかお金の問題だとかはあくまで「そいつの問題」なわけで、そいつが「そいつ対事務所(など)」という位置づけで事務所だとかに文句を言うのはもちろん当然の行為で誰にも責める権利は無い(現に僕もたまに言っています)と思うのだけど、だからと言ってそいつが他の機会に恵まれた人のことをねたみ・そねむということは完全にお門違いだということなんですね。だから本当に他の方をどうこう言うつもりは無いんです。


だけどね。毎日自分の本分を必死にやって自分の人生を必死に生きていて、っていう、そういう人たちの人生に寄り添うようになっちは歌っているのではないですか。そういう人たちが自分の歌を聴いて元気になってくれれば、その人たちの日々に少しでも潤いを与えられれば、そういう気持ちで彼女は歌ってくれているのではないですか。具体的に言えばそれって、社会の中で働いてきちんと責任を負い、貢献して必死にやっているとか、それに向けて懸命にトレーニングをしている最中であるとか、そういう人たちばかりでしょう。はい年末にハワイツアーやりますよー、って言われて、ノーテンキにホイホイ参加できるひとがどれだけいるでしょうか。


なっちから貰ったものを自分の生活に還元するのではなくて、今回のなっちを「消費」したら次のなっちを「消費」しにいく、イベントに参加するのなんて当然で、良席だの糞席(ああなんて嫌な言葉だ)だのに一喜一憂、自分の生活は全部なっちに丸投げ、そのくせなっちの活動に自分の戦いを肩代わりさせるかのようにどうのこうの批評だけは喧しい、という態度だけは僕は絶対にとりたくないと思います。


だから本当に、ハワイだのディナーショーだのという数々のイベントには参加できなくて構わないんですね。参加したいですよ、そりゃあ。死ぬほど。だけどいいんです。もうすぐCD店の店頭になっちのCDが並んで、それを買いにいける、それを聴くことが出来る。それだけで十分です。


ちっぽけな、個人的ななっちファンとしての美学みたいなもんです。だけどよく言われる「ハロプロファン」の社会性の無さみたいな問題に繋がってくる話かも、なんてちょっと思いました。


正直、「ファンの常識」みたいな漠然とした空気についていけなくなっています。なっちに対する想いは全然変わらないのに、むしろ深まっているのに。これってどういうことなのだろうかなぁ。