発見というか

こんばんは。今年初の更新になるんですね、すっかりご無沙汰のナントカ通りです。


先日、昼夜逆転の試験地獄生活を送っているしがない学生の僕は、我が家のセンチメンタル南向きにドーンとそびえるいまいましい(とか言うと罰が当たるような由緒正しい神社がある)山のてっぺんからようやく太陽が顔を出した頃、つまりもう正午かそこらになってようやく仮眠を取ることと致しました。ボケッと歯を磨きながら、DVDを見る以外には滅多につけないテレビをNHKあたりでニュースでもやっているかと思ってつけたら笑っていいともをやっていて、なんとなくボケッと見入ってしまいました。そうしたらテレフォンショッキングにごっちんが出てきて、おおっ!と思って見続けていたのですね。相変わらずのふにゃっとした空気感にホッとしつつ。


こういう時に「次はなっちに回してくれよ!」と思っていても無駄に終わるという経験を今までに腐るほどしていたためか、そういう期待をするという発想が微塵もございませんでした。そういうときに限って来るんですね、ごっちんが回した相手は見事になっち。なんだかちょっとした運命を感じたなあ。「なっち出演の回をたまたま見る」ことよりももっと嬉しい気がします。「ごっちんがなっちへ繋ぐ」という所から見て、その後の24時間をちょっとだけ懐かしいワクワク感を秘めて過ごすというのが嬉しかったです。


翌日、なっちが登場。僕はオンタイムで見ていました。
実は「動くなっち」というのをここの所全然見ていなかったんですね。見事に。色々な新しい動画も、発売されたDVDも、持ってはいるけれど見ていない。あわただしい日々の中で、「1日1曲何かなっちの歌を聴く」ということだけをひたすら繰り返していたんです。「歌声」でしかなっちに接していなかったわけです。そのせいで、僕の中でのなっちが「歌い手としてのなっち」にどんどん純化されていきました。それは、この10年近くに及ぶファンとしての日々の中でも異質な、とても奇妙な感じがして、しかし恐ろしく新鮮で素晴らしい体験でした。これについては今日は置くとして。


そんな中で久しぶりに見た、喋って、笑って、色とりどりの素振りを見せてくれるなっちは、なんだか今まで僕が知っていた安倍なつみという人とは違う人のように、一瞬感じました。だけどその感じはすぐに立ち消え、懐かしさが怒涛のごとく僕の中を駆け巡りました。まるで僕自身がずっと冷凍保存されていて、久しぶりに取り出されて解凍されたかのような気分でした。血液が堰を切ったように体中を駆け巡り、なっちのあらゆる細かなしぐさだとか発言の一つずつが、早鐘のように心臓を打ち鳴らすかのようでした。


で、もう意味不明なのですが、もの凄く泣けてきてしまったんですよね。「笑っていいとも」を見ながら泣ける人間なんてそうはいません。本邦初ですよ、たぶん。


よくわからないけど、「なっちを見つけた」ような気分でした。この言葉で表現できる体験は今までにいくつもしてきたけれど、それらのどれとも異なる体験でした。今の僕がすべき「新しいなっちとの向き合い方」をずっと探しているのだけれど、何か一つ大きなヒントを得たような気がしたんですね。


そんなこともあって、最近周囲のサイトさんで「なっちの仕草」とか「癖」について色々と書かれているのを読んで、なんだかニコニコしてしまうのでした。


はるか昔に、あるサイトの掲示板でそんな話――「好きななっちの仕草」みたいな話をしたことがあったなあ。僕は何と書いたのだっけ……そう、「手首をあまり使わずに腕全体を使うようにして胸の前で手を打ち鳴らす仕草」と書いたのでした。よろしければやってみてください。一人PCの前でやってるとヤバイ感じですけど(笑)。


話が方々に飛びましたが、そんな体験をした、とちょっと書き留めておこうと思って書いてみました。うーむ抽象的かつ独りよがり。これでこそ我がブログ(笑)。


あと新聞の見開き広告とか10周年記念隊とか色々思うことはあるのだけど、またの機会に、とします。あ、申し遅れまくりましたが、ただでさえ辺境ブログである上に更新頻度までめっきり落ち込んでいる当ダメブログをそれでも読んでくださる方、本年もどうぞよろしくお願いいたします。